「なんでこれくらい考えられないんだ」
現場で人に教える立場なら、一度は頭をよぎったことがある言葉だと思います。
- 教えたはずのことができていない
- 少し考えればわかるはずのことで手が止まっている
そのたびに、本人の能力ややる気を疑いたくなる。でも、その前に一度だけ疑ってほしいものがあります。あなた自身の「考える力」の出どころです。
私は製造業の現場で溶接教育を設計しています。
先日、ある研修の打ち合わせで、スタッフ系のマネージャーの方と話す機会がありました。大卒で入って、現場ではなく事務所側を歩んできた人です。そこで、スタッフ系の人と現場作業者の間にある決定的なギャップに気づきました。
この記事では、そのギャップの正体と、教育設計をどう変えればいいのかを書きます。
「いろいろ考えれば、そこに行き着く」という勘違い
打ち合わせの場で、そのマネージャーの方はこう言いました。
「いろいろ考えていけば、結局そこに行き着くんですよね」…と。
考え方には型があります。
- 問題を分解する。時間軸で切る
- 粒度をそろえる
- 抽象と具体を行き来する
- スキル不足なのか知識不足なのかを分類する
こうした「考えるためのフォーマット」を持っている人は、ぼんやりした問題を整理して、扱える形に変えることができます。
大学を出てスタッフ系のマネージャーになった人は、たいていこの型を持っています。そして本人は、それを「自分が考え抜いて身につけたもの」だと思っています。
だから「考えればわかる」「いろいろやっていれば行き着く」と、悪気なく言えてしまう。
私はその場で、大きな違和感を覚えました。
その「考える力」は努力の成果ではなく、環境の贈り物かもしれない
考えるための型は、たしかに考え抜いた先に手に入るものです。
ただし、条件があります。
- 受験勉強などで「解き方の型」に触れた経験があること
- 周囲に考え方を教えてくれる人がいたこと
- 失敗しても馬鹿にされず、考え直す時間と余裕があったこと
つまり、型に行き着けた人は、行き着くための材料と環境を先に与えられていた可能性が高いのです。
教養、周囲の人、時間的な余裕。それらが揃っていたから考え抜くことができた。本人は自力で到達したと思っているけれど、実は環境の贈り物だった可能性が高い。
一方、現場で体を動かす仕事を選んだ人たちはどうでしょうか。
目の前の作業に追われて、考え抜くための時間がありません。そして現場には、失敗した人を馬鹿にする空気が残っている職場が少なくありません。
誰かの失敗を笑うことで自分の自尊心を守る。そういう環境では、試行錯誤そのものがリスクを生みます。
間違えたら笑われる環境で、誰がじっくり考えて試すでしょうか。
考える型を渡されず、考える時間もなく、考えて失敗すれば馬鹿にされる。
この条件で「考えればわかるはずだ」と言うのは、泳ぎ方を教えずに海へ放り込んで「手足を動かせば泳げるはずだ」と言うのに近いと思います。
「これくらいできるだろ」で設計した教育は失敗し続ける
このギャップを自覚しないまま、スタッフ系のマネージャーが現場の教育を設計すると、何が起きるか。
「これくらい説明すればわかるだろう」という前提で、教材や手順書や説明が作られます。
ところが受け取る側には、その説明を整理するための型がありません。
- 理解が足りないまま作業に入るので、判断材料が足りない
- 判断材料が足りなければ、良い判断はできない
- 悪い意思決定が続き、ミスが出る
そして、「なんでこれくらい考えられないんだ」とミスした人を責めてしまいます。
- 教える側は設計したつもりでいる
- 学ぶ側はわからないまま動いている
- どちらも悪気がないのに、教育だけが空回りする
この構造は、教える側が「自分と相手は考え方の前提がまったく違う」と気づかない限り、ずっと続きます。
若手側から見たこの話は、「センスがない」は逃げ言葉|上達が早い若手は何を見ているのかに書きました。今回はその逆側、教える側・設計する側の話です。
対策:「最低最悪の前提」から教育を設計する
では、どうすればいいのか。
私が実際にやっているのは、身も蓋もない言い方をすれば「相手はここまで伝わらないものだ、という最低ラインを想定して設計すること」です。
誤解しないでほしいのですが、これは現場の人を見下す話ではありません。逆です。
「説明すれば伝わるはず」という甘い想定こそが、伝わらなかった人を「考えない人」として切り捨てる結果になります。
最初から「伝わらない前提」で設計しておけば、誰も切り捨てずに済む。相手を責めない教育は、想定を最低ラインに置くところから始まります。
具体的には、次のようなことです。
1. 解釈の余地を残さない
「きれいに仕上げる」「しっかり確認する」のような、受け取り方が人によって変わる言葉を教材から消します。
何を、どの順番で、どうなったら合格か。解釈の入り込む隙間があると、人はそれぞれ自分の解釈で埋めます。そしてその解釈は、こちらの想定とだいたいズレます。
2. 図解と繰り返しをセットにする
言葉で説明して、図で見せて、実物で確認して、それでも勘違いは起きます。
私は教育の中で「ここまで丁寧にしても、まだここを勘違いするのか」という場面を何度も経験してきました。説明した内容は忘れられるし、メモは取られていないことも多い。だから一度で伝わる前提を捨てて、繰り返し戻れる形(図解、動画、チェックできる基準)で残します。
3. 伝わらなかったら、教材を直す
「言ったのにできない」で止まらず、「言い方のどこが甘かったか」に変換して教材をブラッシュアップします。
伝わらなかった箇所は、相手の理解力の問題ではなく、こちらの設計の改善点リストです。
第一歩は、教える側が「自分はわかっていない」と認めること
最後に、いちばん大事なことを書きます。
図解や手順書の作り込みは、あくまで二歩目です。一歩目は、教える側・設計する側が「自分は現場の人の考え方をわかっていない」と認めることです。
自分が自然にできてしまうことほど、できない人の景色は見えません。大卒でマネージャーまで来た人は、考える型を持っているがゆえに、型を持たない人がどこでつまずくのかを想像できない。だから善意で「考えればわかる」と言ってしまう。
ズレの解消は、能力の高い側が「自分とは考え方の前提が違う人たちがいる。自分はその人たちのことをわかっていない」と気づくところからしか始まりません。
そこに気づけば、教材の丁寧さも、説明の粒度も、確認の仕方も、全部変わります。
「なんでこれくらい考えられないんだ」と思ったときが、実は教育設計を見直すいちばんのチャンスです。
相手に型を渡し、環境を整えれば、「意外とできる」は現場で普通に起きます。
考える力は、才能ではなく、渡されたかどうかです。あなたがそれを渡す側になるかどうか。教育の成否は、そこで決まります。
いまの教え方が「考えればわかるだろ」になっていないか、全体を見直したい方は、若手が育つ 教育設計チェックシート(無料PDF・20項目)をどうぞ。