「AIくらい、使ってくれよ…」
そう思いながら、事務所を見渡していませんか?
研修もやった。使い方の資料も配った。それでも、生産管理や品質のスタッフは相変わらず手で集計していて、エクセルの関数を聞きに来る人が数人いるだけ。
上からは「なぜ進まないんだ?」と聞かれる…。
人を育てたい、教育をちゃんとやりたいという気持ちで、次の研修を考えているなら、少し待ってください。
実は、使わないのは教え方や本人の意識の問題ではありません。
人の行動は「動機」と「環境」で決まっていて、教育で変えられるのは知識とやり方だけだからです。
動機は評価基準で決まり、環境は役割と採用で決まります。
順番は、教育が先ではありません。
この記事では、研修の研究や動機づけの理論と、製造現場で見てきたことをもとに、なぜ教育では動かないのか、そして評価・役割・採用をどの順番で設計すれば管理職やスタッフが動くのかを説明します。
教育で変えられるのは、知識とやり方だけ
人を育てたい、という気持ちは私も同じです。
そのうえで、まず教育で変えられるものと、変えられないものを分けます。
- 教育で確実に変えられるもの
知識とやり方。関数の組み方、AIへの頼み方、集計の手順。教えればできるようになる - 教育では変えられないもの
それを本人が「使うかどうか」。これは知識とは別のところで決まる

ここが肝です。
研修の研究ではこれを「研修転移」と呼んでいて、1988年のボールドウィンとフォードの研究以来、ずっと同じ結論が出ています。
学んだことが職場で使われるかどうかを決めるのは、研修の中身よりも、上司が支えてくれるか、使う機会があるか、という職場の環境のほうだ、と。

これは現場の実感と合いませんか?
教えるのが上手い人がいる間はうまくいくのに、その人が異動した途端に止まる。あれは教育が効いていたのではなく、その人がいることで環境が整っていた、ということです。
だから、個人のスキルを会社の安心材料にするのは危ない。
これは感覚ではなく、研究の結論でもあります。
以前、教え方が下手なベテランを動かすなら、本人を変えるのではなく役割を変える、という記事を書きました。
今回の話は、それをAIを使わない管理職やスタッフに広げたものです。
使わないのは、意識ではなく掛け算の問題
では、なぜ使わないのか。
意識が低いからだ、と言いたくなるのは分かります。でも、本人の側から見ると、使わないのはかなり合理的です。
言われた仕事をこなせば給料が出る。
この構造の中で、AIで集計を30分短くしても、その30分には別の仕事が入るだけで、評価も給料も変わらない。
だったら今までどおりが一番楽だ、という計算は、間違っていません。

やる気は足し算ではなく、掛け算で決まる
これを一番きれいに説明しているのが、ブルームの期待理論です。
人のやる気は、次の3つの掛け算で決まります。
- 努力すれば、できそうか
- できたら、見返りがあるか
- その見返りに、魅力があるか
足し算ではなく掛け算なので、どれか一つがゼロなら全体がゼロになります。
AIを使っても評価が変わらないなら、真ん中の「見返り」がゼロです。
やる気が出ないのは当然で、意識の問題ではなく、掛け算の問題です。

理由が無ければ、人は今のままを選ぶ
しかも人には、理由が無ければ今のままを選ぶ癖があります。
行動経済学で現状維持バイアスと呼ばれているもので、サミュエルソンとゼックハウザーが1988年に、健康保険や年金の選択を調べて示しています。
選べる状況でも、人は今のままを選び続ける。だから「変われ」と言われて変わらないのは、怠けではなく、人の標準的な反応です。

「使えば仕事が増える」は、日本の製造業だけの話ではない
「使えば仕事が増える」というスタッフの感覚は、どうやら日本だけの話ではありません。
Upworkという会社の研究所が2024年に出した調査では、仕事でAIを使っている人の77%が「AIで仕事がむしろ増えた」と答えています。
理由は3つです。
- AIの出力を確認する時間が要る
- 使い方を覚える時間が要る
- 速くなった分だけ、仕事を足された
一方で経営層の96%は「AIで生産性が上がる」と期待している。この食い違いは、そのままあなたの会社の事務所でも起きています。

「使え」と言うほど、使わない理由が増える
ここまで来ると、「じゃあ、使えと言い続ければいいのか」という話になります。
これは逆効果です。

なぜなら、人は「望まれている行動」ではなく「報酬が付いている行動」をやるからです。
スティーブン・カーという人が1975年に「Bを望みながらAに報酬を払う愚かさ」という論文を書いていて、経営学では古典になっています。
- 会社が望んでいる行動B
→ AIで効率化する。でも評価されない - 報酬が付いている行動A
→ 言われた仕事を期日どおりこなす。評価される
それなら人はAをやります。
言えば言うほど使わない理由が増えるのは、このためです。
評価の中身を変えずに意識だけ変えようとするのは、順番が逆です。
評価の中身をどう見るかは、「なんとなく評価」が現場を壊すで書いています。
「全員にAIを」は、ここで一度止めてください
「全員にAIを使わせるべきだ」という考えも、ここで一度止めてください。
AIが置き換えるのは、定型の作業だけ
AIが置き換えるのは仕事の全部ではありません。
2003年にオーター、レビー、マーネインという経済学者が、コンピュータが置き換えるのは「ルールで書ける定型的な作業」で、置き換えられないのは「非定型の問題解決とやり取り」だと示しました。
AIになっても、この分かれ目は同じです。
- 定型=関数・文面・集計。置き換わる
- 非定型=現場の道具を作る、手順を設計する、役割と評価を決める。残る

会社の人は、3つの層に分かれる
これを会社に当てはめると、人は3つの層に分かれます。

| 層 | 誰か | AIとの関わり |
|---|---|---|
| 作業する層 | 現場の作業者 | AIを直接は使わない。AIで作った道具と、言語化した手順を受け取る |
| 効率化を考える層 | 管理職・スタッフ | 自分でAIを使い、現場の道具と手順を作る。業務的な頭の使い方はAIに置き換わる |
| 仕組みを設計する層 | 経営層・管理職 | 役割分担・権限・評価を決める。新しいものを考える頭は残る |
現場の作業者に「AIを使え」と言う必要は、今のところありません。
作業そのものはAIに置き換わらないからです。
現場に渡すべきなのは、AIで作ったアプリやツールと、分かりやすく言語化した手順のほうです。
そして、その道具と手順を作るのが、効率化を考える層、つまり管理職とスタッフの仕事です。
この層がAIを使わないと、現場に道具が届かない。止まるのは本人の仕事だけでなく、その先の現場全体です。
「全員にAIを」ではなく「考える層にAIを」。
ここが見えているかどうかで、設計の材料が変わります。
「中小は採用で選べない」の前に、入口で分かること
最後に、「うちは中小だから採用で人を選べない」という声があるはずです。
もっともです。でも、入口で分かることは、思っているより多い。
シュミットとハンターという研究者が1998年.doc)に、85年分の採用研究をまとめて、入社後の仕事ぶりを何が予測するかを出しています。
- 知的能力+構造化面接=0.63。一番当たる
- 経験年数=0.18
- 学歴=0.10。ほとんど当たらない
(数字は相関係数。1に近いほど当たる)

つまり、入口で見ずに教育で取り返そうとするのは、割の悪い賭けです。
採用に力を入れている会社ほど、教育を「変える」ためではなく「伸ばす」ために使っています。
教育をやめる話ではありません。
限られた教育という投資先を分ける話です。変わる兆しのある人には教育が届きます。
条件は、目指した先に本人にとって大きなメリットがあると、本人自身が分かっていること。変わる理由が無い人には、教育ではなく、評価基準や仕事の量、役割で対応します。
私の原則は一つ。人を変える前に、変わる理由を設計する
ここまでをまとめると、私の原則は一つです。
人を変える前に、変わる理由を設計する。 手立ては3つです。

- 評価基準=効率化を考えることを評価に入れる。評価されない行動を、人は続けません
- 役割=効率化を考える層に、考えるための時間と権限を渡す。現場の無駄は、作業者本人が見つける必要はありません
- 採用=入口で見極め、教育は伸ばすために使う
ただ、正直に言うと、教育の側にいる私にできるのは、変わる理由を見つけて、教える順番を組んで、兆しのある人に時間を回すところまでです。
評価基準そのものを作ることは、私の手の中にありません。
だから、評価基準を作れる立場にいる人には、必ずそこで動機を作ってほしい。教育は知識を渡す道具で、動機は評価で作る。これを分けて考えられるかどうかが、AI推進が止まる会社と動く会社の分かれ目です。
順番は、評価、役割、採用、そして教育です。
明日できること=3つの問いに○×を付ける
明日できることを一つだけ挙げるなら、紙に3つの問いを書いて、○×を付けてください。
- 効率化を考えることは、評価に入っているか
- 考えるための時間と権限を持っている人は、誰か
- 教育の時間は、変わる兆しのある人に向いているか
×が付いたところが、教育より先に手を入れる場所です。
教育と採用と評価のどこから手を入れるべきか迷ったら、教育設計のチェックシートで、自分の会社の抜けを確かめてください。